幸せについて

幸せは一人一人違うもので、だから「幸せって何」には「私にとっての」を必ずつけないといけないと思っている。

私にとっての幸せって何、を今まで避けて通ってきた。現状に満足しているからかもしれない。ただ状況が変わり、私にとっての幸せを考えなければいけないことになった。大きな岩にぶつかった気分である。

 

私にとっての幸せはなんだろう。好きな人と一緒にいられること、ここでいう「好きな人」は恋愛感情でなくて。かと思ったら今現状、家族に不満はあるが家族のことは好きであるので今幸せなのかもしれない。じゃあもうひとつ、どうして私はこんなに苦しいんだろう。土地に、母に、縛られているからでないか。苦しんでいても幸せなんだろうか。苦しいよね、そうだよね、もう少し幸せになりたいよね。と、いうことで私の幸せは苦しまずに生きられることだと考えた。すごく自分の幸せを他人事のように、とても遠くから眺めているようなそんな気分でいる。とりあえずの私の幸せはこんな感じ。多分。以上。

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私にとっての愛情、相手の欲しいものを与えることである。この場合の「欲しいもの」は物体や物質的な何かではなく、というのは大前提である。これが「定義」であるかは少し疑問が残るがこれが前提。

 

優しさとの区別を聞かれたが優しさは相手が欲しいかどうかは別として善意で与えるものである。これは自分でも納得のいかないものだがこれを前提として話を進める。

 

愛情は相手が欲しいものを与える、例えば「こんな言葉が欲しい」「こんなことをしてほしい」といったものである。欲しがっているものであるので相手は満足する。

優しさは相手が欲しいかは関係なく与えるもの、例えばお節介や彼女の自己犠牲である。それらが相手の欲しがっているものと合致していればそれは愛情になりうる。が、そうでない場合優しさになってしまう。

 

1.私が彼から受けていたものは愛情ではなく優しさだった。例えば彼が持ってきてくれた水。私にとって要らないものだったけれど彼はくれた。要らないけれど、「ありがとう」と受け取った。彼がくれたのは優しさである。

 

2.彼がくれたのは愛情でもなんでもなかった。彼が私を束縛していたのは自分のためであり私のためではなかった。彼にとっては愛情だったかもしれないが私はそれを求めていなかった。また、この時の束縛は善意ではない。ので、愛情でも優しさでもなかった。

静かな雨の音、フロントガラスは雨に濡れもやもやと歪む。車の中は肌寒い。

薬のお陰かそれとも鬱のせいか面倒なことを考えなくなった。その代わり、面白いことも考えなくなった。昔は脳内が忙しなかった。今は何も考えない。良いのか悪いのかわからない。残ったのは太腿の傷跡だけである。白くて、触るとぼこぼことしている。これも年々薄くなってきていて、私が必死に生きていた事実が薄れていくように見える。

薬で衝動性を抑えている。未だに傷を付けたい衝動に駆られることはあるが大人だから、という理由で全てを丸め込んでいる。

少し感覚を研ぎ澄ませば昔の感覚が戻ってくる気がする。世の中のひとつひとつにフォーカスしていく。感覚が鋭くなるのと同時に流れ込んでくる情報が多くなりどっと疲れる。だから私は難しい事柄について考えるのを放棄している。ただここ最近、難しい事柄に向き合いたい気持ちも生まれてきている。ので、どうか興味があれば何か話題を振ってください。なんてね。おしまい。

2023/11/13

鬱々としてくる。今日はダメな日。今日もダメな日。

今日はずっと頭がどんより重く、動きも鈍かった。今月もしっかり月のものがきた。帰り道にスーパーの駐車場で助手席にうずくまりほんの少し、浅く眠った。

帰ってからは動きの鈍い頭を働かせ年末調整の用紙を片付けた。これだけで偉いと思える。先送り癖のせいで引っ越してから1年間職場に届け出ていなかった住居変更届と通勤届も記入した。これは偉くない。

茶の間で座布団を枕に眠ろうとしたが眠れないまま17時を迎えた。体調が優れないので家族の誰かに犬の散歩を押し付けようと思ったが誰も帰ってこなかったので仕方なく行った。

今これをやはり茶の間で横になりながら書いているが、鈍いはずの頭の中をぐるぐると色々なことが駆け巡って忙しない。

 

同期は今何をしているだろう。私と違ってできることも沢山あって1人の看護師として働けているだろうな。

だとか。

関係を持ったあの人も、あの人も、ここ最近なんだか距離を感じて寂しい。誰か私に優しくしてほしい。

だとか。

あの人に「誰かに必要とされたいとかってことなんじゃないですか。」なんて全くその通りなことを言い当てられてしまったあの複雑な気持ち。

だとか。

 

今は何もできない。自分が存在することが無価値で、死ねばいいのにと思ってしまう。病気のせいかもしれない。月経のせいかもしれない。

 

クリスマスが大好きなのでクリスマスまでは生きていたいと思っている。今年はアドベントカレンダーでも買おうかな。毎日、1日1個の美味しいチョコレートを楽しみにしていたあの頃を思い出す。あの頃は生きることを何とも思わずただ遊ぶことだけに精一杯だった。両親から愛情を沢山貰い、家族の問題も知らずに幸せだった。今だって幸せだけれど希死念慮が付き纏う。もう少し上手く生きられたら文句はない。

 

2023/11/11 深夜

なんだか文章を綴りたくなった。

 

ここ最近は半日で仕事を終え、帰りに寄り道をしてのんびりと帰っている。少し心の余裕があり人と接するにも柔らかい対応ができている。終日の勤務になるとどうなるだろうと不安で、目を逸らして生きている。

 

今日は帰宅後、再度買い物に出かけた。ボールペンの替え芯を買いに。帰宅しても仕事を断ち切れないなんて憎い。大雨で道路がじゅぶじゅぶしていた。私はまだまだ子供であるので車でわざと水溜りを踏んで走る。水飛沫が上がりゴゴゴと音を立てる。ゴゴゴゴゴゴゴ。

 

まだギリギリ生きている親友から荷物が届いた。先日泊まりに行った彼女の家から私の荷物と、たくさんのお菓子と、それから誕生日プレゼントが入っていた。可愛いピアスだった。彼女の家で彼女と彼女の同居人と私、この中の誰が死んでいてもおかしくないと笑ったことを書きながら思い出した。彼女は心中しようと笑った。

 

今日はなんだかハイだった。こういう日はあまり良くない。反動で鬱がくる。今日はすっかりそのことを忘れ、ハイになってはしゃいでいた。久しぶりに手帳に日記も書いた。来年の手帳に手をつけて。

手帳には気付いた時にその月の目標を書くことにしている。今月は仕事も含めのんびりとマイペースに過ごすことを目標とした。

 

夜、鬱がくる。

入院して抗うつ剤が始まってから多少波はあるものの調子が良かった。仕事が始まってからは鬱々とし始め今日はついに、という気がした。体が動かなくなってしまう。お風呂に浸かってぽかぽかしてから今度はお布団でぬくぬくしてすぐ寝てしまった。

 

夜中は大抵この時間に目覚める。起きるとハンドクリームを塗って自分を労ることにしている。手には年齢が顕著に出る。顔が綺麗な人を見かけると首と手を見て年齢をはかっている。大抵は皺が寄っている。大変失礼な話だが少し残念である。

 

久しぶりに自分のブログを読み返した。綺麗な文章かなんてあまり気にせずただつらつらと日記を綴っていた。なんだこんなもんでいいんじゃないかと、今日は気軽な気持ちで書いている。

関係を絶ったあの人は読書が好きだから彼に私の文章をと、ほんのり。嘘嘘、冗談。頭を掠めただけで済んだ。

 

ハンドクリームを塗って眠る。おやすみなさい。